[1]   2   3   4   5   >>   [最後]
2012年05月19日(土)

恐れず、侮らず

 

ふとおもった。消費税引き上げと原発再稼働の議論というのは、その構造がよく似ているのではないか。どちらも賛否両論あるが、政府は両方に耳を傾けるふりをしながら、最初から引き上げありき、再稼働ありきの方針で動いている。
 
これでは国民の間に熟議の場は生まれない。不信感ばかりが先立ち、論理と根拠に基づく冷静な議論からますます遠ざかるばかりだ。消費税も原発も日本の将来の命運にかかわることなのに、そんないい加減なやり方でいいのかと、持っていきようのない怒りが込み上げてくる。
 
とりわけ原発再稼働に関しては、現役世代だけでなく、子どもたちの健康にも大きな影響を与えかねない重要な問題だ。それだけにしっかりと自分の意思で判断する必要がある。しかし、巷には玉石混交な情報があふれかえっている。中には風評被害につながりかねない科学的根拠のない話も含まれている。
 
そこから正確な情報を拾い出し、判断材料にすることが大切だが、そのための基本的な知識が欠けている。放射能、放射線、放射性物質の区別さえあやふやである。
 
『放射線、恐れず侮らず』
 
まさにタイムリーな演題の講演会が岐阜市内のホテルで開催された。主催は岐阜エトスロータリークラブで、創立20周年記念事業の一環として企画された。ちょうどロータリー関係で、うちのクラブにも参加要請が来ていたので、勉強を兼ねて出席した。
 
講師は、財団法人・海洋生物研究所と同・放射線影響協会の研究者が務め、放医研(独立行政法人・放射線医学総合研究所)の所員が司会を担当した。放射線が人体に与える影響についての基礎知識や福島第一原発事故に伴う福島県沖の海洋汚染の実情などが説明された。
 
放射線の影響に関しては、「一度に大量に浴びるとDNAが傷つけられる恐れがある」と指摘。さらに日常生活で放射線から身を守るには「汚染された食品を摂取しないことが有効」とした上で、「ラクトフェリニンの入った乳製品を食べると放射線防護に効果があるといわれている」と紹介した。
 
また海洋汚染について、「原発事故による放射性物質ヨウ素131の放出量は、昨年の4月5日の段階で約63万テラベクレル(テラは、兆を示す単位)、うち海洋には4.7千テラベクレルが流出したと推定される」と解説。そして「海水の表層部の汚染は収まっているが、海底土にはいまだに数値の高い部分がある。実際に海底に生息するヒラメなどからは暫定基準値を上回るセシウムが検出された」と実情を示した。
 
全体のトーンとしては、演題にもあるように「放射線を過剰に恐れる必要もないが、侮ってはいけない」と偏向のないよう、また素人にも分かりやすい説明に努めようとしていることがうかがえた。
 
しかし、私にはひとつの講演を聴いただけで、原発再稼働の是非を判断する自信はない。いや、どれだけ専門家の話を聴いても、どれだけ関連書籍を読んでも、正解は導き出せないかもしれない。そもそも正解はあるのか? それだけこの問題の根っこは深く複雑である。とりあえず今の段階でできることは、先入観を捨てて、できるだけ客観的な視野で見つめていくことしかない。

2012/05/19 23:55 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

この記事のトラックバックURL:

2012年05月17日(木)

自堕落するにもほどがある

 

どうも最近、荒(すさ)んだ生活を送っている。自堕落しきっている。
 
その昔、青春と呼ばれる時代を過ごしていたころ、坂口安吾の『堕落論』をポケットに忍ばせていたことがあった。
 
『人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ』
 
力強い言葉だ。けれども同じ堕落でも、若いころは退廃に対する憧憬が主な部分だったが、齢を重ねていくと、それは単なる無軌道な人生へと様相が変化してくる。堕落のアマからプロへの進歩(適切な表現ではないが)であり、「お前はいい歳をして、それもそれなりに責任のある立場でありながら何をやっているのだ」と後ろ指を指されるようになる。下手を打つと、無縁社会に堕ちて、孤独のうちに最期を迎えてしまうかもしれない危険性をはらんでいる。
 
のっけかに大げさに書き過ぎたようだ。決して、自暴自棄になってもいないし、どこかの議員のように失踪しないのでご安心を(笑) 連休明けから、お付き合いの活動が急速に活発化していることをシニカルに表現しただけのことである。
 
先週末の後輩の結婚式を皮切りに、日曜日のEボート大会を挟んで、宴席が4回続いた。宴席の連チャンは、さほど珍しい事ではない。ただ短い間に度を越した飲み方を繰り返してしまった。恥ずかしいことに久方ぶりに〝リバース〟をし、帰りの車中で爆睡をしてしまった。そしてお決まりの二日酔い。生来的にアルコールは強くないのに、自分から限界を突き破ってしまったのだ。これを私の仲間内では〝自爆〟と呼ぶ。
 
本当に節操がないし、情けないとおもう。みっともない飲み方だと反省をしている。実際に胃腸も弱ってる。そういえば仕事もおざなりだ。ここらで律しなければ、深みにはまって抜け出せなくなる。そう心に決め、連戦最後のビアガーデンは、アルコールを口にしないことにした。そこで車で会場へと向かった。
 
この日は、岐阜市内のホテルのビアガーデンのオープンだった。天気も良く、夕方を過ぎても気温は高く、絶好のビール日和だ。酒に関しては、〝無党派〟に属しているが、こと暑い日は生ビール党に転向する。喉を流れる冷たいビールの苦みが憂鬱さや疲労を溶解してくれる。ただし1杯目だけ。あとはジョッキの数だけ苦痛になってくる。
 
とにかくビアガーデンでビールを飲まない行為は、温泉旅館に泊まって温泉に入らないぐらいの愚行であり、クリープをいれないコーヒーどころの比ではない。それをあえて行うところに決意の強さが感じられる…と本人はおもってる。
 
しかし、周りが酔っぱらっているのに、自分だけウーロン茶というのは間が抜けているというか、寂しいものだ。しょうがないので、ひたすら食べることに傾注していたのだが、胃がもたれ、箸が進まない。こりゃ、早々に引き揚げた方が賢明だなぁ。
 
そうおもった矢先、先輩から「古田君、次、行くぞ」と声が掛かる。
 
結局、3次会まで付き合わされ、帰りは酔っぱらった友人たちをそれぞれの自宅まで送り届けた。もちろん、その間、アルコールは一切、口にしていない。ずっとウーロン茶、緑茶、コーラで通した。腹の中はタポンタポンと重くなったが、財布は一気に軽くなった。
 
やはり私はアホである。次回は、誘われても絶対に断ろうと決断した。NOと言える男を目指すことを今年の残りの目標に掲げた。
 
だが帰り際、ある先輩が私の肩を抱いて言った。
「古田君、あんたは偉いなぁ。酒を飲まないのにここまで付き合うなんて大したもんや。立派なヤツや」
「はい、また誘ってください」
救いようのないお調子者だ。軽い自己嫌悪に陥った。そして、再び『堕落論』の一節が浮かんだ。
 
堕ちる道を堕ちきることによって自分自身を発見し救わなければならない
 
その意味では、まだまだ堕落の坂を転げ切っていないようだ。安心していいのか、嘆いていいのか、分からんが。。。

2012/05/17 00:50 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

この記事のトラックバックURL:

2012年05月15日(火)

地域主権を考える

 

国家と個人の関係について著した古典書は、17世紀のイングランドの思想家ホッブスの『リヴァイアサン』だと記憶している。高校生のころ、倫理社会で習っただけなので内容については失念してしまったが、昔から国家というものは人々の生活に介入し、さまざまな干渉を加えてきた。
 
さすがに平成日本においては、よほどの事情か立場でない限り、個人が国家と直接的に向き合うのはもちろん、その存在を意識する機会は少なくなっている。せいぜい交通違反でキップを切られたときか、税金の納付書が送られてきたときぐらいだろう。その意識の希薄化の背景には、都道府県や市町村という自治体が個人と国家との間の緩衝役を果たしていることがあるとおもう。
 
だが、ここ20年ほどの間に自治体と国家の関係を見直す機運が高まってきている。地方分権、最近では地域主権と呼ばれる動きだ。とりわけ民主党が政権交代の際のマニフェストに『地域主権改革』を「1丁目1番地」に掲げてから、一方の当事者である地方の間から、国からの過度の干渉を排し、「自分たちのまちは自分たちでやる」という自立自尊のスピリッツが芽生えてきた。
 
しかし、肝心要の民主党政権がもたついている。今国会でも「義務付け・枠づけの見直し」や「国と地方の協議の場」の法制化などを含んだ関連法案の審議が、消費税政局のあおりを受けて足踏みが続いている。地方からは、「もはや国には任せておけない」という声が出始めた。その象徴的存在が、大阪市の橋下市長や愛知県の大村知事、名古屋の河村市長であり、もはや単なる政治マターの領域を越えてしまい、国会議員も官僚もその動向を無視できないほどの影響力を持つようになった。
 
しかし、そもそも地域主権とはなにか? 漠然としたイメージは掴めるものの、それによって地方、特に基礎的自治体である市町村の姿はどう変わるのかがはっきりしない。私の中でも言葉だけが独り歩きしているようだ。
 
そんな折、「地域主権改革」をテーマにしたシンポジウムに参加する機会を得た。
 
シンポでは、元三重県知事の北川正恭早稲田大教授が「地域主権改革と自治体の役割」と題して基調講演。その後、大村秀章愛知県知事や田辺信宏静岡市長らが加わったパネルディスカッションが行われた。
 
基調講演で、北川氏は「これからの自治体は、財政権、行政権、立法権を持つ自立創造する地方政府を目指さなくてはいけない。そのためには組織の見直しや職員の意識改革は不可欠だ。常に地域の主権者たる住民への説明責任を果たすことも求められる」と、これまでのように国を頼りにしたり、隣の自治体のマネをするのではなく、独自の政策運営を確立できるよう体質変革を強調した。
 
また地方議会にも触れ、「多くの議会で執行側の首長とのなれ合いが進んでいる。それが住民の議会に対する不信につながっている」と指摘。さらに「二元代表制の真の意味を理解し、地域の御用聞きではなく、政策を考え、提言をするという姿勢を見せなくてはならない」と訴えた。具体的な方法として、通年議会の開催や議会基本条例の制定、さらには議会事務局のあり方や議会図書館の活用についても踏み込んだ考えを述べた。
 
続いて行われたパネルディスカッションでは、大村愛知県知事が中京都構想について言及する場面も。この中で大村知事は「愛知県が産業面での国際競争力を付けるためにも国から権限や財源を取る必要がある。そのためにも維新の会などと協力して、地方交付税制度を廃止するなどし、国と地方の関係を対等にしていきたい」と持論を展開した。
 
一方で田辺静岡市長は「基礎的自治体の職員の中には、権限が譲られても仕事が増えて面倒だから今のままでよいと考える者も少なくない。また大規模災害が起きた場合のことを考えると、どうしても国に頼る体質から抜け出せないのではないか」と、現状を説明した。
 
 
自治体職員や議員を対象にしたシンポだけあって、内容も充実しており、私自身も大きな刺激を受けた。しかし、地域主権の流れの加速化に一抹の不安を覚えているのも事実だ。大阪や愛知、名古屋などの大都市は、〝自立〟も可能かもしれないが、果たして笠松町のような小規模な市町村がこの流れにどこまで対応できるのか、正直、分からないのである。そればかりか、できる自治体とできない自治体との間に格差が生じ、都市部への人口流入が激しくなり、岐阜のような山間地の多い地域では過疎化が進む可能性もある。
 
その弊害を埋めるひとつの手段として、道州制の導入との声があるが、これも丁寧に行わないと、国土を地図上で分断しただけの区分けに終わりかねない。さらに従来の政治や行政のシステムをそのまま移行するだけではミニ中央集権国家の乱立につながる恐れもある。平成の大合併の総括も満足に終わっていないのに短兵急に道州制を主張する意見には抵抗があるのだ。
 
真の意味の地域の自立自尊には、まずは職員や議員が自分たちのまちの現状を冷徹に分析し、その上で未来に対する課題を共有し、ブームに流されることなく地に足が付いた改革を住民とともに進めることが大切だとおもう。少なくとも精神論だけでは早晩行き詰ってしまうのは明らかだ。
 
何から始めるべきなのか? そして、自分には何ができるのか? 明確な回答を見つけるためにも、もっともっと勉強し、実践の場での経験を積まなくてはならないと感じた。

 

 

※余談だが、シンポの司会を務めていた中日新聞の論説委員は、新聞社にいたころ、警察回りで一緒だった方だった。あいさつをする機会はなかったが、意外な場所で懐かしい顔に出会えることはうれしいものだ。一期一会の大切さを噛みしめている。

2012/05/15 14:22 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

この記事のトラックバックURL:

2012年05月13日(日)

後輩の結婚式をゴッドファーザー風にアレンジしてみた。

 

ロータリーの後輩の結婚式に出た。葬式は毎月のように参列しているが、結婚式は何年振りだろう。それもレストランウェディングという初めての形態だ。
 
ガラス張りのホールでキリスト教風の式に参加し、すぐ外の中庭で記念撮影を済まし、数歩先の広間で披露宴に臨んだ。極めて合理的で、ムダな時間や手間はほとんどない。だけどどこかテーマパークのアトラクションを彷彿(ほうふつ)させるような無機質的な雰囲気があった。これがいまどきの結婚式&披露宴なのだろうか? 若干の違和感を覚えたが、新郎新婦が納得していればそれでいいのだろう。老兵は余計なことは言わないものだ。
 
ところで、結婚式といえば、思い起こす映画がある。ゴッドファーザー。フランシス・コッポラ監督の代表作で、アカデミー賞(作品賞、主演男優賞等)も取っている。そのオープニングシーンは、マーロン・ブランド演じるドン・コルレオーネの邸宅で開かれた娘の結婚式。結婚式という華やかな舞台を題材にしながら、ファミリーの複雑な人間模様や冷酷なマァフィアの世界を丁寧に描いている。家族の絆、組織の掟、移民の悲哀、男の誇り。すべてが光と影に包まれている。最近は、こうした大人の映画がめっきり少なくなった。

続きを読む...

2012/05/13 21:50 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

この記事のトラックバックURL:

2012年05月10日(木)

もうすぐ2年です。

 

ミーミーが我が家に来てからもうすぐ2年になる。
 
ミーミーは、家の隣の空き地にバケツに入れられて捨てられていた。拾い上げたときはハツカネズミのほどの大きさで、体は濡れ、目ヤニで目もふさがったまま。ミルクを与えても自分の力で飲めないほどに弱っていた。それでも小さな声で「ミー、ミー」と鳴き、必死に生きようとする意志が感じられた。
 

続きを読む...

2012/05/10 21:25 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

この記事のトラックバックURL:

[1]   2   3   4   5   >>   [最後]
昨日:
本日:
累計:

QLOOKアクセス解析

 

« 前月 次月 » 2012年5月
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

RSS