国家と個人の関係について著した古典書は、17世紀のイングランドの思想家ホッブスの『リヴァイアサン』だと記憶している。高校生のころ、倫理社会で習っただけなので内容については失念してしまったが、昔から国家というものは人々の生活に介入し、さまざまな干渉を加えてきた。
さすがに平成日本においては、よほどの事情か立場でない限り、個人が国家と直接的に向き合うのはもちろん、その存在を意識する機会は少なくなっている。せいぜい交通違反でキップを切られたときか、税金の納付書が送られてきたときぐらいだろう。その意識の希薄化の背景には、都道府県や市町村という自治体が個人と国家との間の緩衝役を果たしていることがあるとおもう。
だが、ここ20年ほどの間に自治体と国家の関係を見直す機運が高まってきている。地方分権、最近では地域主権と呼ばれる動きだ。とりわけ民主党が政権交代の際のマニフェストに『地域主権改革』を「1丁目1番地」に掲げてから、一方の当事者である地方の間から、国からの過度の干渉を排し、「自分たちのまちは自分たちでやる」という自立自尊のスピリッツが芽生えてきた。
しかし、肝心要の民主党政権がもたついている。今国会でも「義務付け・枠づけの見直し」や「国と地方の協議の場」の法制化などを含んだ関連法案の審議が、消費税政局のあおりを受けて足踏みが続いている。地方からは、「もはや国には任せておけない」という声が出始めた。その象徴的存在が、大阪市の橋下市長や愛知県の大村知事、名古屋の河村市長であり、もはや単なる政治マターの領域を越えてしまい、国会議員も官僚もその動向を無視できないほどの影響力を持つようになった。
しかし、そもそも地域主権とはなにか? 漠然としたイメージは掴めるものの、それによって地方、特に基礎的自治体である市町村の姿はどう変わるのかがはっきりしない。私の中でも言葉だけが独り歩きしているようだ。
そんな折、「地域主権改革」をテーマにしたシンポジウムに参加する機会を得た。
シンポでは、元三重県知事の北川正恭早稲田大教授が「地域主権改革と自治体の役割」と題して基調講演。その後、大村秀章愛知県知事や田辺信宏静岡市長らが加わったパネルディスカッションが行われた。
基調講演で、北川氏は「これからの自治体は、財政権、行政権、立法権を持つ自立創造する地方政府を目指さなくてはいけない。そのためには組織の見直しや職員の意識改革は不可欠だ。常に地域の主権者たる住民への説明責任を果たすことも求められる」と、これまでのように国を頼りにしたり、隣の自治体のマネをするのではなく、独自の政策運営を確立できるよう体質変革を強調した。
また地方議会にも触れ、「多くの議会で執行側の首長とのなれ合いが進んでいる。それが住民の議会に対する不信につながっている」と指摘。さらに「二元代表制の真の意味を理解し、地域の御用聞きではなく、政策を考え、提言をするという姿勢を見せなくてはならない」と訴えた。具体的な方法として、通年議会の開催や議会基本条例の制定、さらには議会事務局のあり方や議会図書館の活用についても踏み込んだ考えを述べた。
続いて行われたパネルディスカッションでは、大村愛知県知事が中京都構想について言及する場面も。この中で大村知事は「愛知県が産業面での国際競争力を付けるためにも国から権限や財源を取る必要がある。そのためにも維新の会などと協力して、地方交付税制度を廃止するなどし、国と地方の関係を対等にしていきたい」と持論を展開した。
一方で田辺静岡市長は「基礎的自治体の職員の中には、権限が譲られても仕事が増えて面倒だから今のままでよいと考える者も少なくない。また大規模災害が起きた場合のことを考えると、どうしても国に頼る体質から抜け出せないのではないか」と、現状を説明した。
自治体職員や議員を対象にしたシンポだけあって、内容も充実しており、私自身も大きな刺激を受けた。しかし、地域主権の流れの加速化に一抹の不安を覚えているのも事実だ。大阪や愛知、名古屋などの大都市は、〝自立〟も可能かもしれないが、果たして笠松町のような小規模な市町村がこの流れにどこまで対応できるのか、正直、分からないのである。そればかりか、できる自治体とできない自治体との間に格差が生じ、都市部への人口流入が激しくなり、岐阜のような山間地の多い地域では過疎化が進む可能性もある。
その弊害を埋めるひとつの手段として、道州制の導入との声があるが、これも丁寧に行わないと、国土を地図上で分断しただけの区分けに終わりかねない。さらに従来の政治や行政のシステムをそのまま移行するだけではミニ中央集権国家の乱立につながる恐れもある。平成の大合併の総括も満足に終わっていないのに短兵急に道州制を主張する意見には抵抗があるのだ。
真の意味の地域の自立自尊には、まずは職員や議員が自分たちのまちの現状を冷徹に分析し、その上で未来に対する課題を共有し、ブームに流されることなく地に足が付いた改革を住民とともに進めることが大切だとおもう。少なくとも精神論だけでは早晩行き詰ってしまうのは明らかだ。
何から始めるべきなのか? そして、自分には何ができるのか? 明確な回答を見つけるためにも、もっともっと勉強し、実践の場での経験を積まなくてはならないと感じた。
※余談だが、シンポの司会を務めていた中日新聞の論説委員は、新聞社にいたころ、警察回りで一緒だった方だった。あいさつをする機会はなかったが、意外な場所で懐かしい顔に出会えることはうれしいものだ。一期一会の大切さを噛みしめている。